大本山方広寺の境内には「五百羅漢」と呼ばれる石像が点在しています。釈迦入滅後、教典編纂の第一結集(けつじゅう)、第四結集に500名の仏弟子達が集まったことに由来します。大本山方広寺の五百羅漢像を見て回ると、必ず自分に似た像が見つかると言われております。
昭和50年頃、大本山方広寺境内に点在する五百羅漢が心ない人に盗まれ庭の飾り物になっているという話も聞かれるようになり、門前区民の有志が立ち上がり調査が始まりましたが、思いの外予算がかかり、行き詰まってしまいました。
昭和53年5月、自治会に協力要請があり、同年8月、自治会の文化活動として調査すること、教育委員会へ資金援助を申し入れることが決まり、調査活動が本格始動しました。その後方広寺からの資金援助も加わり、活動がさらに進みます。
調査は分布図の制作や各個体の撮影、羅漢番号の確認、寄進者および寄進者子孫の調査、アルバム制作など多岐にわたりました。
昭和55年3月には町文化祭に出品、一応の成果が上がり第一段階の活動が終わります。その後も自治会文体部の中のグループ活動として資料の整理充実や小冊子の発行などの活動が行われました。
五百羅漢は前述の通り、釈迦入滅後に教典編纂の第一結集(けつじゅう)、第四結集に500名の仏弟子達が集まったことに由来します。
大本山方広寺には、次のような記録が残っています。
「寺門に入るに先立つて白崖峰と言はれる巨岩上に一群の羅漢が安置され、全境内の樹下石上に姿態自由な立像坐像臥像が苔衣を着て或は禪思し、或は流水を俯瞰し或は行雲を仰視して居る。是は寶歷年中 拙巌和尚が圓覺經を提唱するに當つて大藏經を渉獵し、偶、諸大羅漢が世間に現在して遺法を護ると云ふ文を讀み、更にまた開山禪師曾て支那天台の石橋に茶を獻ぜられしに、羅漢が身を現じて 別峰に禪師を呼ばれたる故事を思い、方廣の寺名が天台に因み、五百の雲衲の數の亦相通ずるに依って五百躰を彫刻せしめ明和七年完成した物である。」
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1.哲学の道
2.石橋
3.羅漢の庭
4.半僧杉周辺
5.椎河大龍王堂付近
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